こんにちは
三苫の個別指導塾
烈志塾の井上です
生徒たちと話していると
「普通」
という言葉を
耳にすることがよくあります
「どうだった?」
→「普通かな」
「どうやって解いたの?」
→「普通にやりました」
何気なく使う言葉ですが
私はこの「普通」という言葉に
少し引っかかることがあります
というのも
私は昔から「普通」というものは
実はあまり当てにならない
と思っているからです
私が「普通はない」と感じた出来事
私がそう思うようになったきっかけは
福岡でのある出来事でした
私は北海道旭川市の出身です
大学受験のために
初めて福岡に来たときのことでした
当時は今のように
スマホで何でもすぐ調べられる時代では
ありませんでした
福岡について
詳しく知っていたわけではありませんが
「ラーメンが有名」
ということだけは耳にしていました
そこで福岡に着いてすぐ
近くのラーメン屋さんに
入ってみたのです
すると
メニューにこう書いてありました
ラーメン
福岡の人々にとっては
ごく自然な表記かもしれません
でも当時の私には
それがとても衝撃的でした
なぜなら
北海道でラーメン屋さんに行くと
たいていは
味噌ラーメン
塩ラーメン
醤油ラーメン
というように
「何味か」が書かれていることが
多かったからです
私の感覚としては
「ジュース」
という名のジュースが
売られていた気分です
ですから私は純粋に不思議に思って
店の方に聞いてみました
「ラーメンって、何味なんですか?」
すると返ってきたのは
「豚骨に決まっとるやろ」
という怒鳴り声でした
そのときに私は
強く感じたのです
ああ
同じ日本でも
場所が違えば“当たり前”は違うんだな
自分にとっての普通は
相手にとっての普通とは
限らないんだ
「普通」は,立場や環境で変わる
この出来事以来
私は「普通」というものを
あまり簡単には使えなくなりました
自分の中では
当たり前
と思っていることでも
育った場所が違えば違う
経験してきたことが違えば違う
年齢が違っても
環境が違っても
感じ方は変わります
つまり
「普通」は絶対的なものではなく
その人の背景の上に成り立っているもの
なのだと思います
このことに気づいてから
私は人との違いを
以前より自然に受け入れられるように
なった気がします
海外で生活したときも
自分の基準だけで判断せず
相手の考え方や文化を踏まえて
コミュニケーションを取ることの
大切さを実感しました
相手を理解しようとするなら
まずは自分の中の「当たり前」を
少し横に置いてみること
それがとても大切なのだと思います
塾での指導にもつながっています
この考え方は
今の塾での指導にも
大きくつながっています
勉強を教えていると
つい大人の感覚で
「ここは普通わかるだろう」
「これは当たり前にできるだろう」
と思ってしまいそうになることが
あります
でも
実際にはそうではありません
ある子にとってはすぐ理解できることが
別の子にとっては大きな壁になることが
あります
逆に
多くの人が苦手にすることを
自然にできる子もいます
だから私は目の前の子を
「普通」
で見ないようにしたいと思っています
この子は今
どこで迷っているのか
何が分からないのか
どういう順番なら理解しやすいのか
そういうことを一つひとつ見ながら
その子に合った説明を考える
それが本当の意味での
個別対応だと思っています
「普通」で終わらせない
「普通」という言葉は便利です
でも便利だからこそ
そこで思考が止まってしまうことが
あります
なぜそう思ったのか
どうしてそう感じたのか
何が原因でそこでつまずいたのか
そこを見ようとすると
人への理解も深まりますし
勉強も深まります
対人関係でも
学びでも
「普通だから」
で終わらせず
その奥にある違いや
その人らしさに目を向けること
そういう姿勢を
生徒たちにも持ってほしい
と思っていますし
私自身も大切にしていきたい
と思っています
